<真面目な親が子どもを追いつめてしまう> ……
 私のところに面談にいらっしゃる親御さんは、皆さん、私なんかより優秀かつ善良で見るからに真面目そうな方が多い。その真面目なご両親が真面目に子育てをされた子供さんも、やはり真面目な子が多い。
 にもかかわらず、真面目に学校や会社に通っていた子どもさんが、ある日突然それができなくなってしまう。不登校から引きこもりになってしまったり、あるいは会社を辞めてニートになってしまったりする。……
 その理由を、いままで私なりにずっと考えてきました。
  もちろんいまも、これという明確な回答が見つかったわけではありません。ただ、そんなご両親の真面目さこそが、無意識に子どもを追いつめてしまっているの ではないか――近頃、私はそんな考えを持つようになりました。 (二神能基『希望のニート』(東洋経済新報社、2005年) 1~2頁)



<親が安心する優等生は、引きこもり系>
 そもそも優等生は引きこもりやすい、というのが私の実感です。
 勉強は部屋に引きこもって、一人でするものです。しかも10代のもっとも多感な時期に、受験戦争の真っ只中に放り込まれて、好きなことも我慢してがんばるわけですからなおさらです。
 勉強部屋に引きこもっていて、学校や塾の成績がよければ、親はすこぶる機嫌がいい。親から見れば、実に手のかからない自慢の子どもです。当時は友だち付き合いが少なくても、まるで気になりません。それは学校の成績とはまるで関係がないからです。 (同 84~85)



<「リターン・マッチ(敗者復活戦)」を急いでしまう親>
 子どもが学校や会社を辞めた場合、まずできる範囲で緊急対応をしたあと、親はどうしても新たな学校や会社に通う可能性を考えてはじめてしまいます。子どもが成績優秀であればあるほど、そうしてしまうのです。
 リターンマッチ、いわば「敗者復活戦」を急いでしまう――これもニートの子どもを持つ親の特徴のひとつです。
 もう10人中9人がそうです。真面目な親ほど、あくまで受験戦争の延長線上で、できるだけ早く「リターン・マッチ(敗者復活戦)」をさせようとしてしまう。なぜなら、親自身がほかの選択肢を持たないからです。……
 そこで両親が、もう少しゆったりとした道を考えてやればいいのに、一日でも早く「リターン・マッチ(敗者復活戦)」をさせないといけないと、生真面目に焦ってしまう。余裕がないのです。
 子どもも、現実的には「いい学校、いい会社」路線から外れているのに、頭だけは親と同じ考え方しか持っていないため、親子で空回りして悪循環に陥ってしまいます。 (同 88~89頁)



<働きがいより「お金」を重視する親や社会>
 ニートの子どもを持つ親御さんと話していて、私が強く感じることに、「働きがいよりお金を重視する傾向」が親御さんの中にあるということです。
 もちろん、一人で生活していくのにも、結婚して家族を養っていくのにも、それ相応のお金は必要です。しかし私が見るに、仕事に対する金銭的見返りを、それ以外の見返りより過大評価しすぎる傾向が、ニートを持つ親御さんにはあるように思えてならないのです。
 本来、労働の報酬はお金だけではないはずです。たとえば、働くこと自体の喜びとか、誰かから感謝される喜びといった働きがいもあります。
 しかし、彼らの親たちには、労働の報酬は、そういう働きがいより、まずは充分に生活していけるお金だという考え方が根強くあるように思えてならないのです。 (同 92頁)



<子離れどころのレベルではない>
 ニートを持つ親には、子離れができていない親も非常に多い。
 それには、「いい学校、いい会社」コースの途中で、子どもがドロップアウトしてしまい、子離れの機会を失ったせいもあります。そのせいで、親として子ども を守らなければと意識過剰になり、極端な過保護になってしまったり、母子密着が強くなりすぎてしまったりするのです。……

 もちろん、親御さんは一生懸命なわけです。子どものことを思う気持ちにも嘘はないし、真剣です。だけど一生懸命すぎるあまり、自分と子どもの関係を客観視するゆとりが ない。親がまるで「ペット」のように子どもの世話を焼くうちに、子どもも「ペット」みたいになってしまうのです。 (同 94~97頁)


二神能基『希望のニート』(東洋経済新報社、2005年)


 



 
 ひきこもりを抱える家族の共通した悩みは、
「どうやったら家から外に出すことができるか?」
「どうしたら自立させることができるか?」
という点です。

 したがって私のところに来られる方の相談は、
「何とか家から出してほしい」
「何とか学校に戻るようにしてほしい」
「アルバイトでもいいから仕事をするようになってほしい」
といったものがほとんどです。

 相談を受けていて一番に感じるのは、
ひきこもりの子どもたちがどういった心理状態にあって、どうしたいと考えているのかという点について、周りにいる家族があまりにも知らなさすぎる
ということです。

 多くの家族は生活の様子を見ていて、
「外にまったく出ない」
「昼夜逆転している」
「食事をあまりとらない」
「ゲームやパソコンばかりやっているようだ」
「病気なのではないか」
「やる気がないようで寝てばかりいる」
などの内容を報告してきます。

  しかし、
「何が原因でひきこもりになったのか?」
「どういう気持ちでいるのか?」
「今の状態に満足しているのか?」
などの質問には「何を考えているかわかりません」という答えが返ってくるケースがほとんどです。……ヒントになりそうな答えさえ出てこないほど家族間のコミュニケーションがとれていません。   (内田直人『「ひきこもり」から子どもを救い出す方法』(現代書林、2014年) 12~13頁)



 相談を受けていていつも思うのは、たいていの方が最初から方法論を求めすぎているということです。もちろん方法論は大事なのですが、「子どもの気持ちを理解する」「どういった心構えで接するか」の2つができていないと、同じことをやっても結果に差が出てしまいます。    (同 16頁) 



<ひきこもりと不登校の密接な関係>
……ひきこもりと不登校というのは密接に関わっています。
 私のところに相談にくるひきこもりの子どもたちは、大部分が小、中、高、大学のうちいずれかで不登校を経験しているという事実があります。……

 不登校というものは、何も突然やってくるものではありません。必ず前兆があります。それは「学校に行きたくない」という言葉です。
 その言葉を聞いたとき、親が軽く流してしまって単純に「行きなさい」とだけ命令して、「なんで行きたくないのか」という問題をおろそかにしてしまうことはとても危険なことなのです。……

 本来であれば、「行きたくない」という言葉の兆候が出たときに子どもとよく話をして、親が原因を把握しておくべきです。普段からそういったコミュニケーションがとれている親子であれば、子どもは親を信頼すべき相談相手として認識します。
 しかし、「行きなさい」と命令だけしているような親子関係だと、問題が大きくなっても子どもは親に相談できず、結局自分一人で抱え込んでしまうことになります。

 そうなると、親は「子どもが何を考えているかわからない」、子どもからしたら「親に相談しても仕方ない」というように全くコミュニケーションがとれない親子になってしまうのです。……

 不登校がひきこもりと密接に関係している……これには明確な理由があります。
 学校というところは勉強をする場であると同時に、将来仕事をして自立する練習をする場です。後者の中でも特に集団の中でうまくやっていく方法を身に付けるということが非常に大事になってきます。
 それが不登校になってしまうと、集団の中でコミュニケーションをとっていくことがなくなってしまうので、将来仮に社会に入っていったとしても大きな苦労を強いられることになります。   (同 36~38頁)




……ひきこもりの子どもたちはみな一様に「親から強制させられた」ということを訴えます。逆に親に話を聞くと「強制した」という感覚はないと言います
 この感覚の違いはどこからくるのでしょう? ……

「強制」されてきたと感じている子どもは「言われたとおり」やってきています。少なくとも当人は「言われた通りにやってきた」という感覚を持っています。逆に「自主性」「創造力」は欠如しています。決断力がなく、自分のことも自分で決められないというように育ってしまっています。……

 法律で決まっているような「善悪の判断」や、「礼儀」「挨拶」「感謝」「反省」を教えることはしつけです。
 しかし、本人がどうしたいのかということを無視して、親の考え通りにいかせようとすることは「強制」です。……

 もちろん親がそういった方向で進ませた方が本人のためになると考えているからこそ、本人にさせようとしていることはわかります。
 であれば、「なぜその方向で進むことが良いのか」ということを十分に納得させた上で、進ませるべきです。……
「なぜ」を省略して強制していくことが一番問題で、してはいけないことなのです。   (同 38~42)



<ひきこもりの子どもは「自分は社会にいない」と感じている>……

 ひきこもりの子どもたちは皆一様に「社会にいない」という感覚を持っています。もちろん、学校にも会社にも行っておらず社会に属していないのですから、社会にいないという感覚を持つのは当然のことです。
 では彼らが学校や会社に行っていたときはどうだったのでしょうか?

……彼らに聞くと、学校や会社に行っていたときも、現在ひきこもっているときもほとんど変わらず、「社会にいるんだ」という感覚は持っていなかったと言います。
 彼らはそれだけ自分が他人とは違って輪の中に溶け込めていないという孤独感を味わっているということです。……

 この原因は親の愛情不足にあります。
……愛情不足が重なって成長すると、子どもは孤独感を持ちます。また、親に対して信頼しないようになってしまいます。すると他人と接するときも、自分は理解してもらえないと思ってしまい、自分から距離を置こうとするのです。自分が距離を置けば当然周りは離れていきます。すると余計に孤独感を感じるのです。
 理解してもらえないという感覚は、積極性や自主性も奪ってしまいます。……
 だからこそ、子どもたちに孤独感を感じさせてはいけないのです。

何もしょっちゅう一緒にいてべたべたしたほうがいいと言っている訳ではありません。
子どもが望んだときに親ができる精一杯の愛情を注いであげることが必要なのです。

決して親の時間があるときに相手にしてあげるのではなく、「子どもが必要としているとき」というのが大事なのです。 (同 ~45頁)

内田直人『「ひきこもり」から子どもを救い出す方法』(現代書林、2014年)

 


どこへ行ってもいじめられる子がいることは、たしかなのです。……
自分の意思で……拒否したり、いじめる相手に公然と抗議……できない子が狙われやすいということも客観的事実として認める必要があるのです。……

  いま、自我形成不全症候群という大問題がおこっていると警告している研究者がいます。これは知的な問題ではなく、育ち方とか精神的自立の問題です。意識の曇りもなく、精神病理的には別に問題はなく理解力もある。どちらかといえば子どもの時にはおとなしい〝いい子”で、成績も優秀だった。そんな青年に多いのです。つまり、なんでもよくわかるし、論理を扱うこともわりあいきちんとできるが、実生活という面ではひどくお粗末で自分で自分を律するということがほと んどできない。……
 そしていじめられる側の子には、こういうタイプが多いのです。……それは……〝育ちそこない”、〝育てられそこない”ということができるかもしれません。……

 そこで、その研究者がこうした性格になりやすい条件としてあげていることを、もう一度見直してみました。

◆自我形成不全のおこりやすい条件
 古典的なタイプとして、
  1.  祖父、祖母がいて、彼らの自由になる資産がある
  2.  その祖父母は子(孫)の養育に発言力が強く、その底に嫁、姑の表面化しない確執がある
  3.  親は高学歴で、知的な職種や情報産業関係者などがわりあい多い。形式論理が正義だと思い込んでいる人が多い
  4.  他に女の姉妹がいて、優秀だと思われている
  以上のようなことがあげられています(……こういう条件があれば必ずそうなるということではありません。……また、……形は違っても内容的には同じで、例えば祖父母はいなくても、小さい時に喘息などの持病をもっていて、母親が権力的な思考の強い人だったりすると自我形成不全の子ができやすい、といったこともあげています。また、こうした自我形成不全は男の子に多かったのですが、最近は女の子にも現われてきました。それは女の子に拒食症(摂食異常)が現われ てきたのと、軌を一にしているというのです)。



藤井護郎『文化としてのいじめ問題』(農山漁村文化協会、1997年) 161~167頁